【劇場アニメ】サマーゴースト【感想】

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DATA

  • タイトル:サマーゴースト
  • 公開年:2021年
  • 時間:40分
  • 制作:FLAT STUDIO
  • 監督:loundraw
  • 脚本:安達寛高
6 out of 10 stars (6 / 10)

「サマーゴーストって知ってる?」
ネットを通じて知り合った高校生、友也・あおい・涼。
都市伝説として囁かれる“通称:サマーゴースト”は若い女性の幽霊で、花火をすると姿を現すという。
自身が望む人生へ踏み出せない”友也”
居場所を見つけられない”あおい”
輝く未来が突然閉ざされた”涼”
彼等にはそれぞれ、サマーゴーストに会わなくてはならない理由があった。
生と死が交錯する夏の夜、各々の想いが向かう先は――――。

公式サイトより抜粋

概要

本作は2021年に公開されたオリジナルの短編劇場アニメです。
イラストレーターのloundraw氏が原案、監督を務め、さらに脚本の安達寛高氏は作家乙一氏の本名名義となっています。

夏に現れる幽霊

本作は主人公の高校生「杉崎 友也」が同年代の「春川 あおい」、「小林 涼」と一緒に花火をしている場面から始まります。
その後時間を遡り、ネットで知り合ったと思しき彼らは夏に現れるという『サマーゴースト』に会うという目的があった様です。提案者らしい友也が言うにはサマーゴーストは若い女性の幽霊との事で、さらにこの幽霊についておそらく自ら命を絶ったと見解を述べますが、この事に特に根拠は示しておらず、ただの予想かとも思われましたが、あるいは願望だったかとも思われます。
そうしてサマーゴースト出没地点と思われる場所へ移動する3人ですが、その間に彼らのバックボーンが描かれます。絵画を描くのが好きだが、親によって画家への道が絶たれそうな友也。学校でイジメを受け、不登校気味なあおい。医者から余命を宣告されている涼。
彼らは各々が何らかの形で死という物が頭にあり、それを解決する目的でサマーゴーストに会おうとしたものと思われます。

幽霊との出会いからの展開

そうして3人は到着した滑走路跡らしき場所で花火を始めます。まるで召喚の儀式ですが、なかなかサマーゴーストは現れず、ほぼ諦め状態で最後の花火を点火した後、友也は気配を察知し花火にも変化が生じます。
そんな中現れたサマーゴーストは「佐藤 絢音」と名乗りコミュニケーションも普通に取れる事から、浮いたり飛んだりしなければ、陽気な女性という印象です。
また彼女は触れた相手の魂と一緒に飛ぶことも出来る様です。空中を飛び空から街を見下ろしたかと思えば、地中でも自由自在に動き回れます。
そんな体験をしたからか、友也はその後も絢音を度々召喚しては空中遊泳した様です。自分のやりたい事を出来ず、親に抑えつけられていると感じていそうな友也は絢音と空を飛ぶことで解放感を感じていたのでしょうか。
しかし絢音は友也に対して会えなくなる時が近付いていると告げられます。亡くなってから現世に留まっていられる期間に限度があるのかも知れません。
そして絢音は友也に自らの死について語るのでした。

作画、雰囲気など

作画は力が入っている印象を受けました。
特に友也が地中に落とされる場面や空中遊泳などといった辺りが印象的です。
しかしそんな中淡々とした雰囲気で話は進んで行きます。終盤は雰囲気が一変してもおかしくないのですが、ダイジェスト演出などのため、淡々とした雰囲気は変わらず進んでいる様に感じられました。
また主要な登場人物は3人組と絢音ですが、その中で絢音の音声が平坦なのは幽霊である事を表現している結果なのか、他の3人と違って芸能人声優だからなのか何とも判断しかねる所です。

色々気になる終盤

終盤は絢音の遺体を探す展開となります。絢音が何か手掛かりになるものを覚えていてという展開なら、もう少し面白くかつスムーズな展開になったと思うのですが、生憎スーツケースでどこかに埋められたという手掛かりは無いに等しい状態のため、地中をやみくもに探す展開となります。
ひたすら当ても無く地中を探し、時間が残り少なくなった所でスーツケースを見つけるというご都合主義展開や、それだけ浅いなら探す間もなく発見されているのではとか警察に通報したのかという色々な点が気になってしまいます。
この辺りは脚本担当の乙一氏によるノベライズなどで掘り下げていれば良いのですが、そうで無いのならミステリーも手掛けている作家にしては雑と言われても仕方ないと思われます。

まとめ

短い尺に色々な要素を詰め込んだ結果、それぞれの要素は薄味になった作品という印象です。サマーゴーストを探す話に加えて高校生3人それぞれの背景、絢音の死や遺体捜索といった要素を考えると尺に比べてやや詰め込み過ぎた感は否めません。
ラストなど印象的な場面はありますので、要素を減らして尺に相応の脚本であれば違った印象になったのでは無いかとも思われます。